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はじめに
吉本新喜劇の看板女優として知られる島田珠代さん。舞台では奇抜なギャグで笑いを届ける彼女ですが、私生活では壮絶な経験を乗り越えてきました。今回は「元夫の余命宣告」「離婚」「娘との関係」という3つのキーワードを軸に、島田さんの人生の一幕を振り返ります。
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【余命宣告】元夫に突きつけられた「持って5年」の現実
島田珠代さんが37歳で出産した娘の父親は、彼女にとって2人目の夫でした。家族3人で幸せな日々を送っていた矢先、娘が生後8か月のときに夫の体調に異変が。検査の結果、直腸がんステージ4という診断が下され、「持って5年」と余命宣告を受けたのです。
抗がん剤治療が始まると、夫は精神的にも不安定になり、苛立ちを珠代さんにぶつけるように。言い争いが増え、家庭は次第に崩れていきました。
【離婚】3年の結婚生活の末に決断した別れ
夫の病状が進行する中、島田さんは3年間の結婚生活に終止符を打つ決断をします。離婚の際、夫は「俺の生きる望みは娘だけ」と語り、親権を強く希望しました。珠代さんは当時3歳だった娘の親権を泣く泣く譲ることに。
娘は父親とともに名古屋の実家へ。島田さんは大阪に残り、舞台に立ち続けながら、母としての役割を果たせない苦しみを抱えて生きることになります。
【娘との関係】中学生で始まった共同生活と衝突
離婚時に「娘が中学生になったら、本人がどちらの親と暮らすかを選べるようにする」という約束が交わされていました。そしてその時期を迎える直前、元夫は亡くなります。
突然始まった娘との共同生活。最初は順調に見えましたが、思春期の娘との関係は次第にぎくしゃくしていきます。中学2年のある日、娘は「ママは何もしてくれなかった!」と怒りを爆発させました。小学生時代の孤独や家事の負担、母への不満をぶつけたのです。
島田さんはその言葉に衝撃を受け、「親に対して何てこと言うの!」と反発。しかしその後、娘は自室に閉じこもり、2か月間顔を合わせることすらできなくなりました。
【母親業の葛藤】「私の母親業、終わったな」と感じた瞬間
娘との断絶期間中、島田さんは深い孤独に陥ります。舞台では笑顔を振りまきながらも、心は沈んでいたと語ります。そんな彼女を支えたのは、吉本新喜劇の仲間たち。浅香あき恵さんから「それはあなたに甘えているからなんだよ」と助言を受け、娘の本心に気づき始めます。
「ママ! ママ!」と叫ぶ小さな女の子の姿が、娘の反抗の裏にある本当の気持ちだと理解したとき、島田さんは涙を流しました。
【再生】娘との関係はどう変わったのか?
その後、島田さんは「親の言うことが正解だという考えはもうやめよう」と決意。娘の意志を尊重し、口出しを控えるようになりました。現在は新しいパートナーと娘の3人で暮らしており、少しずつ関係を修復しているようです。
娘との関係は一度壊れかけましたが、ぶつかり合いを経て、互いの本心に触れることで再生の道を歩み始めました。
【まとめ】島田珠代が教えてくれた「母であること」の意味
島田珠代さんの人生は、舞台の上とは対照的に、涙と葛藤に満ちたものでした。元夫の余命宣告、離婚、娘との衝突——そのすべてを乗り越えた彼女の姿は、多くの母親たちに勇気を与えてくれるでしょう。
「母親業、終わったな」と感じた瞬間も、娘の一言で再び立ち上がる。そんな島田さんの生き様は、笑いの裏にある深い人間ドラマそのものです。